躁鬱の随に。

躁鬱人が人知れず想いの丈を綴った記録。

今ある自分は明日にはいない。

なんとなくで生きてしまうと、人生がなんとなくで終わってしまう。

 

そのことに気づいたのは、なんとなくで生きていたからだ。

人生を主体的に生きるためには、自分を律する必要がある。

 

一日の時間の使い方として、ついつい時間があるとTwitterやユーチューブに走ってしまう。

しかし、これらは娯楽あり時間つぶしであり、次につながる生産性がない。

その場限りの時間つぶしは、人生にもったいない。

 

よりよく生きるためには、明日の自分を生かす行動が必要だ。

自己研鑽。この一言に尽きる。

 

どうせ時間があるなら、自身を錬磨できる習慣を身につけたい。

自己を鍛錬する時間を持つと、それだけで生産性のない時間に潰されていた自己肯定感が上がる。

 

僕は、筋トレ・読書・勉強・ライティングの四つを打ち立てた。

どれも継続が求められ、結果が出るのに時間がかかるものばかり。

 

しかし、基本的には自分がやりたいことだ。

取り組んでいる時間そのものを楽しむこと。これが継続のコツと実感している。

 

これらは、大学生時代に取り組めず後悔した習慣だ。

そもそも、コツコツ何かを成し遂げるということを人生で達成できたためしがない。

 

習慣化は僕の人生の悲願だ。

そのためには自分を律し、主体的に、能動的に行動を重ねるしかない。

 

自分を律する。

これが存外に難しい。

 

しかし、人生の終わりを思い描いた時、悔いなく死ぬためには、やはりやり遂げるほかない。

 

終わりを思い描き、そのために今やるべきことをやる。

これが悔いなき人生の歩み方のように思う。

 

今ある自分は明日にはいない。

 

そうして究極の今を生きる刹那的な生き方こそ、明日の自分を生かすように思う。