躁鬱の随に。

躁鬱人が人知れず想いの丈を綴った記録。

今ある本分。

最近、充実を感じる。

 

先日から盆参りが始まったが、仕事をこなせるだけでここまで満たされるのか。

いままで重くのしかかっていた自責感は、働けなかったことにあったと知る。

 

おそらく、働くと言うことが、今の僕の本分なのだろう。

 

学生時代は学校に通うことが本分だった。

今思えば、学生時代で不調になったのは学校へ通う本分がままならなくなってからだ。

 

人は、それぞれ、その時その時の本分を持っているように思う。

それを失うと、いつの間にか生きていることが損なわれるような、そんな本分。

 

何気ない、当たり前のことであっても、いつの間にかそのことに支えられている。

ただ、当たり前のことすぎて、気づかないうちにその本分を失なっていた時が怖い。

 

思うに、人の本分というものは、自分の意志で変えたいと思っても変えようがない。

その時の環境や、立場によって定められているように思う。

それは、身分であったり、役目であったりする。

 

逆に言えば、本分さえ守られていれば、多少のことがあっても人生がぶれる事はない。

ゆえに、自分の本分を振り返ることは重要だ。

 

何が自分の今の人生を支えているのか。

本分の自覚は、それだけで今を安定させる。

 

自分軸が分かれば、自ずと今ある歩みが安定してくるものだ。