躁鬱の随に。

躁鬱人が人知れず想いの丈を綴った記録。

引きこもり、停滞していたあの頃。

学生時代、自分の将来につまずき、ひたすらに停滞している時期があった。

一ヶ月、二ヶ月なんてもんじゃない。その間、二年。

 

単純に、大学へ行けず、引きこもりになっていた。

引きこもりになった原因は自分の体調にあった。

 

当時なかなか寝付けず、これ以上ないくらいに強い睡眠薬を処方してもらっていた。

それは現在、強い効能のせいで悪用が目立ち、アメリカなどでは使用禁止・持ち込み禁止になったほどの中毒性のある薬。

案の定、朝は副作用の眠気で起きることがなかった。

 

二度寝につぐ二度寝で泥のように眠った。

昼過ぎに起きたらまだいい方。0時過ぎに寝て、起きるのは夕方。

 

夕方になると、授業には出ないくせに大学へ足を運び、とある学生団体に顔を出していた。

朝起きれないというのは単純に自分の怠けだと自分を責め、また途中から出席しても意味がない、と完璧主義を拗らせていた。

 

その学生団体は僕にとっての居場所であり、救いだった。

しかし今にして思えば、当時の僕の言動は、皆を押さえつけるような停滞の根源であったように思う。

 

精神が乱れていると、その鬱憤が周囲に漏れ出す。

自覚症状もないまま、自分の膿みが漏れ出す一方で、どんどん悪化していたように思う。

 

最終的にはこれ以上ないくらいの完全な引きこもりとなり、薬を飲まなくなったのも相まって精神をきたし、警察に保護され、入院に至った。

 

入院後はV字回復し、退院後大学に復帰してからは順調に単位が取れ、卒業し、自坊に就職、今に至る。

今となっては笑い話だが、当時は葛藤の毎日であり、切実だった。

 

 

完全な引きこもりと成り果ててからは、自死を考えることでしか救われない毎日だった。

 

しかし、これらの悪化にはそれなりの予兆があったように思う。

予兆に気づき、早めに対処すれば、ここまでの一大事にならなかったように思うのだ。

 

学生団体の恩師は「お湯に浸かったカエル」と言っていたが、まさにその通りで、心地よい環境に浸るあまり、変温動物ゆえに熱湯となり状況が悪化しているのにも気づかず、そのまま息絶えてしまっていた。

 

もっとも、当時は自分のことを言われていることにも気づけなかった。

まさに湯だったカエルだ。

 

今思い返せば、人の話を聞いているようで聞いていなかった。

話を聞いていても、自分ごととして考えられていなかった。

 

もっと人の意見を、自分の中に聞き入れていれば、状況は変わっていたように思う。

救いの手はあったのに、自分にこだわりを持ち、意固地になるあまり、その差し伸べられた手に気づけなかった。

 

今は、状況が好転し、穏やかな日々を送れている。停滞していた時期についての後悔はない。

むしろ、あの時停滞していたからこそ、今の環境に恵まれているとさえ思う。

 

しかし、それは今が救われているからだ。

今、救われていなかったら、想像を絶する想いに囚われていただろう。

 

いつ何時も、大事なのは今だ。

 

当時の僕に、「きっと良くなる」なんて言っても気休めにもならなかっただろう。

二年の停滞は長すぎた。

 

当時の僕に声をかけるなら、今の自分ならどう言うだろうか。

 

 

希望が潰えた時、人は生きることをやめる。

もし、自分の希望の火が灯らなくなったら、その火を灯すのは隣人だ。

 

他者の存在が自分を生かす。

その実感は極限状態でないと湧かないが、しかし疑いようのない事実だ。

 

「隣人がいるから生きてられる」なんて恵みに日和った意見に思うかもしれない。

しかし、限りなく自身を損なった時、嫌が追うにも、救いとなるのは他者だ。

 

他者のために生きろ、とは言わない。

それでも、人との繋がりを断つことだけはやめてほしい。

 

火を灯してもらったら、また自分の人生を生きればいい。

そして、火の灯らなくなった人がいたら、そばにいてあげてほしい。

 

 

そんな言葉を贈るかもしれない。

 

人の希望は自分の希望となりえる。

逆もまた然り。

 

明日を灯すのは自力とは限らない。

誰かの明日を照らせるよう、今日も想いを綴る。