躁鬱の随に。

躁鬱人が人知れず想いの丈を綴った記録。

僕のメモ癖と、言葉の舵取り。

ニーモシネのA7メモパッドを、お気に入りの革カバーと共に携帯するようになったのは三年ほど前からか。

仕事などでも活用するため、常に持ち歩いている。

 

時折見返し、気に入った言葉はiPhoneのメモに取り溜めている。

数年経って体に染み込んでいる言葉もあれば、新鮮な言葉として蘇るものもある。

 

振り返ってみると、変わった自分と変わらない自分がいて面白い。

僕にとってメモは思考そのものだ。

 

 

今日は、休みの合間に二年間分のメモ書きを見直していた。

 

僕は思いついたことや覚えておきたい言葉を、その場でメモする癖がある。

最近のメモ癖は落ち着いているが、いまだにこれらのメモが自分を支えている。

 

このところ更新できていないが、メモ書きの一切を日付付きでTwitterに更新している。

いずれは仏教を紐解く、坊さんアカウントとして運用したいという願望がある。

 

 

かつて停滞していた時は、こうありたいという自分がメモ中に露見していた。

見直してみると、繰り返し綴っている言葉もあり、その度に自分の中へ浸透させていたのだと思う。

 

これらの言葉が、人生の舵取りをしてくれた。

このブログも含め、言葉を綴ることが僕の人生を塗り替えてくれた。

 

 

言葉には不思議な力がある。

想いを綴った時、形作られるのは己の意思だ。

 

自分の意思が表面化すると、思い通りの道へと軌道修正が効く。

言葉を紡ぐことは、何よりの舵取りなのだと思う。

 

 

これからも自己流の人生の訓示が、ポケットのメモの中に溜まるだろう。

そうした自分の意思の副産物を時折見返しながら、明日への舵取りに身を任せたいと思う。