躁鬱の随に。

躁鬱人が人知れず想いの丈を綴った記録。

ねば思考。心の枷を外した先に。

今日も、昼前に退院した大叔母への挨拶と買い出しを済ませた以外は休んでいた。

かなり集中して頭を休められたと思う。

 

 

八月が今日で終わる。

環境の激変で忙しすぎた七月と比べると充実感は劣るが、それでもお盆参りもあり忙しさで時を忘れた月だった。

 

九月の頭からもしばらく間延びした仕事スケジュールだ。

疲労はだいぶ取れているが、休息を挟みながらでもぼちぼちで動き出したいところ。

 

 

やりたいことがだいぶ滞っているが、考えてみると何かしなければならないことなんてない。

「ねば思考」に囚われ過ぎていたかもしれない。

 

行き当たりばったりでもいい。

その時その時の自分に本当にしたいことを問いながら、気ままに過ごせたらと思う。

 

こうした心の枷を外していくことが、ありのままの自由につながるのだと思う。

自分らしさとは、そういった自由の先にあるのではないだろうか。