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時々、ゲームの衝動がある。
その度に攻略の概要を頭で振り返って、プレイするのは徒労だと思い直すつまらない自制をかけている。
ゲームにはいい思い出が多いので、頭で振り返るだけで満足するのが実情だ。
いかんせんゲームプレイは時間が取られる。
かといって、どうしようもなくやりたい時はスイッチを入れるのだが、やはり数十分でやめてしまう。
楽しかった思い出はあるが、それをなぞることで全く同じ興奮を得ることはなく、どこか虚しい。
やはりその時々で、その時にしかハマれないものはあるのだと思う。
たとえ中毒性のあることでも、その時にやり切るのが幸福なのかもしれない。
ゲームの衝動以上に、何かやりたくて仕方がない衝動は日々抱えている。
気力の充電具合と相談して行動に移すが、結局休みがちだ。
これも頭に浮かべるだけで、「この鬱憤を発散する手段を持っている」という事実だけで満足してしまう。
発散手段にかかる初動の労力を考えただけで、気が引けてしまうのだ。
結局は無益な発散方法が一番楽だ。
続けるもやめるも限りなく自由だ。
依存性のあることと、何か自分のためになることを除けば、何をしてもいい。
僕の場合は、肘掛け椅子に座ってぼーっとしたり、横になって考え事をしたり、椅子に腰掛けて心頭滅却することだったりする。このライティングだってそうだ。
でもそういった、やってもやらなくてもいいような発散手段を持つことが、強いては人生におけるガス抜きになるのだと思う。
それだけ多彩に、楽に生きられる。
生産性のない趣味にこそ救われる。
もっと、多様な手段を身につけたい。