躁鬱の随に。

躁鬱人が人知れず想いの丈を綴った記録。

無益な趣味に救われる。

 

15:48 

時々、ゲームの衝動がある。

その度に攻略の概要を頭で振り返って、プレイするのは徒労だと思い直すつまらない自制をかけている。

 

ゲームにはいい思い出が多いので、頭で振り返るだけで満足するのが実情だ。

いかんせんゲームプレイは時間が取られる。

 

 

かといって、どうしようもなくやりたい時はスイッチを入れるのだが、やはり数十分でやめてしまう。

楽しかった思い出はあるが、それをなぞることで全く同じ興奮を得ることはなく、どこか虚しい。

 

やはりその時々で、その時にしかハマれないものはあるのだと思う。

たとえ中毒性のあることでも、その時にやり切るのが幸福なのかもしれない。

 

 

 

ゲームの衝動以上に、何かやりたくて仕方がない衝動は日々抱えている。

気力の充電具合と相談して行動に移すが、結局休みがちだ。

 

これも頭に浮かべるだけで、「この鬱憤を発散する手段を持っている」という事実だけで満足してしまう。

発散手段にかかる初動の労力を考えただけで、気が引けてしまうのだ。

 

 

結局は無益な発散方法が一番楽だ。

続けるもやめるも限りなく自由だ。

 

依存性のあることと、何か自分のためになることを除けば、何をしてもいい。

僕の場合は、肘掛け椅子に座ってぼーっとしたり、横になって考え事をしたり、椅子に腰掛けて心頭滅却することだったりする。このライティングだってそうだ。

 

でもそういった、やってもやらなくてもいいような発散手段を持つことが、強いては人生におけるガス抜きになるのだと思う。

それだけ多彩に、楽に生きられる。

 

生産性のない趣味にこそ救われる。

もっと、多様な手段を身につけたい。