躁鬱の随に。

躁鬱人が人知れず想いの丈を綴った記録。

躁鬱の随に。その由来。

先日、ブログのタイトルを変更した。

皆さんお気づきだろうか。

 

タイトルの読みは「ソウウツのマニマに」。

この「マニマに」を「隨に」から「随に」に変更したのだ。

 

どうも「隨」という字は「随」の旧字体らしい。

 

今はあまり使われていない漢字で、ネットで検索しても、このブログ名が検索に引っかからずにいた。

むしろ「隨」の字に引っ張られて中国語のサイトが上がっていたので、慌てて変更した次第である。

 

「躁鬱の随に」とネットで調べて出てくるようになるのは、まだ先のことかもしれない。

順調にブログが育ち、検索上位に上がることを祈る。

 

「随」という字は「随筆」などにも使われるように、「成り行きに任せる」という意味がある。

音読みは「ズイ」、訓読みは「シタガう」または「マニマに」。

 

僕のiOSでは「まにまに」と打っても漢字が出てくることがなく、仕方なく「ずいに」と打って「随に」に変換している。

 

このタイトルは単純な思いつきで出てきたものだ。

しかし、今となっては気に入っている。

 

躁鬱とは持病である躁うつ病の気分の波を指す。

体調の波に揺られながらも、躁鬱の波に乗って気の向くままに書く。

そんな意味が込められている。

 

躁鬱気質とは僕の大部分を構成する要素であり、ありのままを書き記そうと思い、このタイトルに決めた。

 

躁鬱病には随分と苦しめられてきたが、今は寛解しており、どうせならこの躁鬱の波を利用し、趣味として昇華してしまおうという思いもあった。

 

昔からツイッターなど利用していたが、学生時代の躁鬱病の症状が一番ひどい時に始めたこともあり、そこではネガティブな感情が氾濫していた。

 

しかし、ブログは読み物であり、読者がいる。

 

今でも躁鬱に翻弄され、鬱に引きずられることはあるが、それでも諦めきれない希望を胸に書き記していきたいと思っている。

 

ここに記すのは僕の感情的価値だ。

 

読み物は、人を勇気づけてこそ価値がある。

前に進むために、言葉がある。

 

読み物としての価値を高めるため、そして何よりも自身が前に進むために、勇気と希望を胸に、書き進もうと思う。

 

明日を見るため、今を生きるため、今日も想いを綴る。