躁鬱の随に。

躁鬱人が人知れず想いの丈を綴った記録。

“書く“ことは最高の一人遊び。

書くことは僕にとって発散だ。

かつて、持病により挫折を余儀なくされたとき、自分のフラストレーションの発散として選んだのが“書く“ことだった。

当時は中古で買ったpomeraで自身の想いをタイピングしていた。

そこから約6年、pomeraには世話になった。

pomeraで言葉を綴っている時だけが自由で、救いだった。

 

「“書く“ことは最高の一人遊び」というフレーズは、本を読んで得た言葉だ。

孤独に耐える上での至上の一人遊び、それが書くことだった。

自らの思考をさらけ出し、整理し、深め、記録する。

記録したものを振り返るだけでも、生きた実感が湧いた。

想いや悩みがそのまま、生きた証として昇華された。

 

読み手を意識して書くことも面白い。

一つの作品として書き上げ、推敲し、練り上げる。

そうして作り上げた記事は、たとえ評価されなくとも、自身を形作った作品としてこの世を生きる。

それは自身の形代となり、自分を見失った時の指標になる。

 

創作は、生きた証だ。

生み出すことに生きた実感が湧く。

たとえ評価されなくとも、他でもない自分が生きた実感を認められる。

書くことは最高の一人遊び。

これからも、自分の想いを書き留める。