躁鬱の随に。

躁鬱人が人知れず想いの丈を綴った記録。

六割上等。

思えば人生において、自分の完璧主義な部分に苦しめられてきた。

完璧主義と聞くと、なにやら物事を突き詰めるデキる人のような響きがあるが、全くの間違いだ。

完璧を目指すものの、決まって途中で折れてしまうのである。

振り返れば中途半端な取り組みばかりでやり遂げたものがない。

0か100かしか考えられない黒白思考も相まって、「100できないなら意味がない」と鼻から諦めてしまう始末である。

 

完璧主義は一生、完璧に到達し得ない。

目指すは完璧ではなく、“完遂“である。

とりあえずの出来で、完遂を目指す。

心持ちとしては、六割できればいい。

六割といえば及第点。高得点ではない。

しかし、及第点というのは誰からも、“他でもない自分からも“、それを「やった」と認められる点数だ。

腑に落ちないなら六割やり遂げた後で、さらに上を目指せばいい。

とにかく、やり遂げる。このことが、人生において自己を認めるためにも、何よりも大切なことだと気づいたのは最近のことだ。

 

この、「六割上等」の心持ちは、自分の歩んできた道を認める足掛かりになる。

やりきれない人生だった。

それでも、これまで歩んできた以上、何事も六割は取り組めていたように思う。

僕はこれからも、「六割上等」と言い聞かせ、奮い立たせる。

過去を肯定し、今を歩む。