躁鬱の随に。

躁鬱人が人知れず想いの丈を綴った記録。

暗黒時代のトラウマ。分割処理を。

15:48 

二週間ぶりのフリーライティング。

昨日丸一日と今日の午前と、やることをやり切った。

後は勤行記録にさえ手がつけば。

 

今日はもう休む。明日本気出す。

しかし気が焦る気持ちもあって休みにくいのが現状。

かと言って記録に手をつけることもできない。

 

どうしようもない。どうしようもないが、じっと耐える他ない。

やれば簡単なことなのに、相変わらず自分の鈍臭さがある。

 

 

幸い、明日は朝一件のみのお参りなので、後は自由に時間を使えるはずだ。

時間があるからと甘えず、コンスタントに記録に時間を費やしたい。

 

日々コツコツやるのが正解なのはわかっている。わかってはいるが、長年の一度にやりたい欲が治らない。

思えばこうした後のばし癖が、いつも自分を窮地に追い込んでいる。

 

治さねばならない。わかっている。わかってはいる。

しかし、休めないならいっそ手をつけてしまえばいいのに手がつかない。

こうした踏ん切りはどう鍛えればいいのか。

 

 

ジレンマが一番つらい。

正直言って、引きこもっていた暗黒時代の感覚を思い出し、トラウマだ。

 

あの時の自分に願うのは、視野を広く持つこと。

だとすれば、今も視野を広げればいいのかもしれない。

考えすぎて視野狭窄に陥っている。これが苦しさの原因かもしれない。

 

記録がつけられなくても誰かに迷惑をかけるわけじゃない。自分が困るだけ。

滞っているのも三週間分で、どうせ細かいことは覚えていないのだから、端的に書けば巻き返しがきく。

滞っているのは記録の一点のみだ。他の仕事に影響が出るわけじゃない。

明日やればいいし、できなきゃ明後日やればいい。時間はある。

今日できないのは当然。昨日一日と今日午前十分動いた。

 

 

しかし、本当に絶望しているのは今短時間もやれないのに今後まとめて書ける訳がないと思っていることだ。

そのくせ、短時間でもやろうとすると一度にまとめて書きたい欲が邪魔をする。

一度に済まさなければ意味がないと思ってしまう。

 

ことの分割処理というものがどうしようもなく苦手だ。

結果、溜まりに溜める。

 

 

やった方が楽というのが頭に染み付けば改善されるのやもしれない。

しかし、その一歩が踏み出せないので、結局、これまでと同じく現実逃避で明日の自分に任せることとする。

 

 

今日は午前二件参って、そのまま買い出しと花生けに2時間ほど割いた。

午後は休み、夕方は勤行記録に手がつかない焦りに襲われたが、フリーライティングすると思考が落ち着いた。

 

なるほど、やることの分割処理は今後の課題かもしれない。

一度に全部済まそうとするのを、ちょっとずつ細切れで対処していくイメージを持つとコツコツ取り組みやすいやも。

 

こうした気づきを少しでも得られた日は、無駄でなかったと安心する。

少しずつ、積み重ねていきたい。