躁鬱の随に。

躁鬱人が人知れず想いの丈を綴った記録。

気だるさを過ごす。

今日も今日とて一日休み。

午前中買い出しには出かけたが、それ以外はほとんど横になっていた。

 

昨日の飲み会の疲れか、連日の盆参りの疲れかはわからないが、気だるい一日だった。

 

後で思い返して何も思い出せないような、何もできなかった日は、毎回一日の終わりにもったいなさを感じる。

それでも動けなかったのだからしょうがない。

 

何もしなかったということは、それだけ休めているということ。

そう納得するほかない。

 

どうせ休日を過ごすなら、エキサイティングな過ごし方をしてみたいものだ。

それは、常々憧れている。

 

しかし一日も終わり、どうにか明日を頑張れそうな今、気だるい一日にも意味があったようにも思う。

 

明日を頑張れる休みほど有意義なものはない。

 

気怠さは体のサイン。

気怠さの赴くままに過ごす。

そんなに悪いことじゃない。

 

明日は1件お参りが入っている。

そして明日の午後には、これからお世話になる相棒が納車予定だ。

 

明日は明日の風が吹く。