躁鬱の随に。

躁鬱人が人知れず想いの丈を綴った記録。

意識の高さに、過去の自分を重ねる。

今日は午前中に父との二人法事を終え、午後は休んでいた。

 

休める時に休む。

これはいくら行動的になったとしても、外せない鉄則だ。

 

最近は意識の高い自分と消極的な自分とがいる。

しかし、この棲み分けが大事なように思う。

 

休む時には休んで、やる時にはやる。

休んだ分やる気が出るものだし、やった分だけ休みが必要になる。

どちらかに偏ってしまうと、必ず精神が支障をきたす。

 

やる気があるのに体が動かなかったり、体は元気なのにやる気が出なかったりする混合状態も厄介だ。

やはり自然でいるためには、自分の内なる声に耳を傾ける必要がある。

 

結局は、やりたいことをやる。これに尽きる。

結果がどうであれ、今自分が求めていることを行動に移し、今を生きることが先決だ。

 

 

とはいえ、最近は自分でも意識の高さに偏りを感じる。

二、三ヶ月前の休みに徹し続けていた自分とは大違いだ。

 

意識に体の調子がついていけていない自覚もある。

それでも、今までに体得した休む習慣を活かしながら、少しでも上向きに、行動的になれるよう体を慣らしていきたいと思っている。

 

高校から大学入学当初にかけての自分の意識の高さを思い出す。

あの頃は休むことを知らなかった。

 

結果として最初の入院を味わうこととなったわけだが、休むことを覚えたいま、再びあの頃の活発さを取り戻せたなら、また面白い化学反応があるのではないかと思っている。

 

これまでの人生における、各フェーズごとの自分の利点を活かしたい。

経験が生きた時ほど、生きた実感が湧く。

 

経験の昇華こそ、今の自分が欲しているものだ。

新しいことに挑戦しながら、過去の自分を統合していく。

 

意識の高まりは、自分を次のステージへ誘ってくれる。

結果がどうであれ、挑戦してみようと思う。