躁鬱の随に。

躁鬱人が人知れず想いの丈を綴った記録。

私情を晒す勇気。

今日は一日休みだった。

久々に丸一日ごろごろしていた。

 

しかし、朝晩は冷えるとはいえ、日中、そして日没の今も暑苦しい。

クーラー卒業は早すぎたか。

 

気温が下がらないとなかなか休めない。

今晩はクーラー使用もやむなしかな。

 

 

しかし、日記ブログとはいえ、こんな中身のない投稿ばかりで良いのだろうか。

そうは思うものの、これ以上の労力をブログに注げられないでいる。

 

ここまで連続投稿40日。

ネタ切れなのは薄々気がついていたが、ブログを書く気力まで削げてしまっている。

 

毎日投稿なのだから、こういう日もあって当たり前とは思うのだが、中身のないブログを投稿する日は、やはりやるせない。

何か新しいテーマを考えるだとか、自身の掘り下げの必要性を感じる。

 

一日を過ごす中であらかじめブログのネタを意識しておくとか、そういった努力も必要なのだろうか。

 

しかし、しばらく前の記事にも書いたが、ブログには即興性が欠かせないように思うのだ。

何より即興のブログでなければ、毎日投稿を続けられる気がしない。

enpy.jp

 

書くことがないとぼやきながらも、筆をすすめる中で構築されゆく文体に価値を感じている。

 

しかしそれも、本当に何も書けなくなってはおしまいだ。

何か対策を講じる必要がある。

 

これは俗に言うインプットとアウトプットのバランスの問題なのかもしれない。

要するに出力の仕方が悪いのではなく、単にインプットが足りていない。

 

確かに最近は読書が捗っていない。

思えば、本で読んだことが取っ掛かりとなることも多々あった。

 

ところが、僕の読書スタイルにはムラがある。

読めるときは一度に浴びるほど読むが、読めない時はとことん読めないのだ。

 

これは頭にかかっている負荷の問題だと思っている。

だから、本も読めない時は休むと決めている。

 

 

ここまで書いてみて、やはり僕は、日記ブログと言えど、体験したことをつらつらと書き記すよりも、何か物事を論じるのが好きだと気づいた。

日課であった個人的な日記も、元はと言えば鬱でこんがらがった思考の整理のために始めた習慣だ。

 

日々、何かとっかかりを見つけて、自分の考えを展開するのが性に合っている気がする。

もちろん、読書も思考のベースとして役立つだろう。

 

やはり求められるは、ネタ切れの土壇場で私情を書き記す気力か。

私情を晒す勇気が試されている。