躁鬱の随に。

躁鬱人が人知れず想いの丈を綴った記録。

純日記の体裁。

今日でこの日記も84日目になるらしい。

 

毎日書き続けて早3ヶ月。

そろそろスタイルが板についてくる頃だろうか。

 

久々に最初の頃の日記を振り返ってみると、今の日記はだいぶ肩の力が抜けていることに気づく。

 

前は胸に留めていた書きたいことを書いていたが、今は筆の進むままに書き記している。

その分、内容の濃さは劣るが、文章のリズムは今のほうが気に入っている。

 

 

はてなブログは純日記のあり方を推してるらしい。

日記はその人の体を表す。

日々書いてあることは些細なことでも、通読した時に感ずる“その人“の存在感はやはり中毒性がある。

毎日書くのはもちろん、毎日読む方にとっても、純日記の体裁が一番ヘルシーなのではないだろうか。

 

しかし、スタイルが定着するとそれはマンネリの始まりなので、やはり実験的な試みを忘れないようにしたいと思う。

筆をすすめるにも、頭に浮かんだことは取り繕わずにそのまま書き記すことを心がけている。

 

推敲に推敲を重ねた優等生な文もいいが、やはりどこか歪でありながらも温かみのある情のでた文章の方が、日記には合うと思うのだ。

 

 

マンネリを避けるため、自分自身が言葉に触れることも忘れないようにしたい。

普段はKindle Unlimitedで流れてきがちな実用書や自己啓発本ばかり読んでいるが、小説やエッセイなど、作者の地の文にも触れていきたい。

 

こうした叙述の文が執筆者に与える影響は大きい、

何よりそれ自身が日記を書く発火材になる。

 

 

この日記ももう100日目が目前だ。

100記事かくと世界が変わるとどこかで読んだが、確かに最初の頃と比べると自分の日記のありようが掴めてきた気がする。

ちなみに次の変化点は300記事目らしい。

 

この日記の開ける世界に期待している。

今日はここで筆を止めたいと思う。