躁鬱の随に。

躁鬱人が人知れず想いの丈を綴った記録。

傾聴できる僧侶。

今日は、高松での講座に赴いていた。

 

講座名は、「いのちの電話相談員養成講座」。

今年の春に申し込み、六月から始まった。

 

自死問題が他人事と思えず、また人の心に耳を傾ける仕事に憧れていたこともあり、大学時代に興味を持った。

 

学生の時に参加できればよかったが、香川に戻ることはすでに決まっていたため、地元に戻ってからいのちの電話香川支部へ掛け合った。

 

元々臨床心理学系の授業に興味を持って履修していたこともあり、講座内容はどれも自分の関心を引くものばかりだ。

臨床心理士や、福祉に携わる人、心療内科医など、現場に立ち会っている方ばかりがローテーションで講義してくださるので、毎回中身が濃い。

現場ならではのこぼれ話を聞くのが大変勉強になる。

 

いのちの電話相談員になれたなら、僧職との掛け持ちになる。

月に2回、一回四時間ほどのボランティア。

 

人の痛みを知るというのは、それだけで自分のかけがえのない経験となる。

「話を聴く」というのは、僧侶としても必須のスキルだ。

 

傾聴は、自分のミッションだと思っている。

普段のお参りでも、傾聴を通した門徒さんへの関わりができれば、寺が廃れることはないのではないかと思う。

 

寺の改革だなんだと騒がれるが、結局は門徒さんとの関係性に尽きる。

傾聴できる僧侶。それが僕のビジョンだ。

 

まずは聴く。

そんな初歩的なコミュニケーションが、これからの寺を支えるのだと思う。