躁鬱の随に。

躁鬱人が人知れず想いの丈を綴った記録。

長年の悲願。

今日は午前中買い出しに行き、その他は一日ゆっくりしていた。

夜に電話相談のシフトがあったが、警報が出ていた時にキャンセルした。

 

今は警報がとっくに解除されているため、後になってみれば行けないことはなかった。

しかし、高松に夜遅くまで往復する気力もなかったので、今日は休んで正解だった。

 

 

何もしない時間というのも難儀なものだ。

 

何もしないいでいると、何かやりたい気持ちがあるが、何かをやる気力もなく頭の回路がショートするような感覚がある。

これは、ドーパミン依存の後遺症だと自分で解釈している。

 

ゲーム・YouTube・Twitter・漫画など、ドーパミンを発する行為を欲しているのだ。

そこにブレーキをかけた結果、頭に負荷がかかる。

 

 

しかし、生活リズムも変わり寝たきりが改善されたおかげで、最近一日の過ごし方が少しずつ変化してきている。

Kindleだけでなく、本棚で埃を被っていた本たちにも手がつくようになってきた。

 

今までは横になりながらいじれるスマホやKindleが精一杯だった。

それがニーチェアに座りながら、または机を前に書物を読めるようになった。

 

 

僕にとって、これは大きな前進だ。

仏教書を手に取ることができれば、机での勉強も夢ではない。

 

勉強は長年の悲願だ。

焦らず、少しずつステップを踏んでいきたい。