躁鬱の随に。

躁鬱人が人知れず想いの丈を綴った記録。

無自覚な鍛錬。

今日は午前中にお参り一件こなし、その後本堂の拭き掃除。昼からは荘厳の飾り付けを行った。

 

今日の仕事は13時半には終わり、それからは体を休めていた。

今週は山場だ。しっかり体を休ませながら臨みたいと思う。

 

 

最近の生活の出来は50%くらいだと思っている。

及第点には10%ほど足りないが、それでもここまで来れてよかった。

一時期仕事の出来なかった頃の満足度は20%くらいだったから、そこから考えると進歩した。

 

やはり不満のない生活には80%くらいの満足度が必要なのだろう。

当面そのクオリティは目指したいが、当然いい時もあれば悪い時もあるわけで、やはりアベレージ60%を目指すのが妥当かなと思う。

 

如何せん僕の生活には波がある。

高い満足度を目指して根気詰めすぎると鬱で地獄を見る。

自分の気持ちと折り合いをつけながら、無理なく自分のペースでベストを尽くしたい。

 

 

しかしこれまでの生活で、精神力というのか、生活をこなす体力がついてきたのも事実だ。

それは一つの慣れであり、生活の習慣が身についてきたということでもあるのだろう。

 

コツコツと今できることを積み重ねていけば、躁鬱病を患う前の活力もある程度は戻るのではないかと思えてきた。

日々の生活の活力については、まだまだ伸び代があるように感じる。

 

何気ない日常の中で、無自覚な鍛錬というものがあるのだと思う。

日々のストレスの中で、生活力が養われる。

これはかつて引きこもりだった僕に足りなかったものだ。

 

生活の基盤が安定してきてよかった。

折を見てまた生活のレベルを飛躍させたい。

今はまだ現状維持を大切にしながら、目の間の報恩講を乗り切ろうと思う。