躁鬱の随に。

躁鬱人が人知れず想いの丈を綴った記録。

祖父との邂逅。

昔ながらのご門徒さんの家へ伺うと、決まって祖父の話を聞く。

祖父は僕が大学2年の時に亡くなった。

 

享年82歳。

大往生ではあったが、葬式では遺影を抱えながら号泣したのを覚えている。

 

僕自身が初孫の長男であったこともあり、随分と可愛がってくれた。

今でも「ひろちゃん、ひろちゃんや」との祖父の掛け声が鮮明に思い浮かぶ。

「寺を頼むぞ。」との晩年の言葉も。

 

祖父の存在は、僕の中で大きかった。

小学校の頃なんかは、僕のヒーローだった。

 

辛いことがあっても、おじいちゃんのように笑い飛ばせばいい。

僕が天真爛漫だった所以だ。

 

今となっては亡き人だが、お参りで祖父の話を聞く。

 

ヒーローという認識は間違っていなかったらしい。

誰もが祖父を慕っていた。

 

父親も、章雄さんの読経はピカイチだった。とよく話す。

俺はあんなふうには読めなかった、とも。

 

僧侶、住職としての祖父を見られなかったことは残念だが、ご門徒さんの祖父についての話を聞くたびに誇りに思う。

同時に、精進せねば。との想いが湧き起こる。

 

祖父との邂逅は、僕に勇気を与える。

祖父は、今も心の中に生きている。